未来へ結ぶ座談会
3年間にわたる「Meeting アラスミ!(以下、アラスミ)」でゲスト講師やコメンテーターを務めてきた小林真理氏、吉本光宏氏、熊倉純子の三者がそれぞれの視点を交えながら、これからのベースとなる考え方や進むべき方向性を探る。
最終年度のシンポジウムで学生たちのグループワークに未来への可能性を感じさせる案が出た中、話題は「アーツカウンシル」という言葉には収まりきらない新たな仕組みづくりへ。
次なる構想に向けてのキーワードも飛び出した。
■パネリスト
小林真理(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻 教授)
吉本光宏(ニッセイ基礎研究所研究理事・芸術文化プロジェクト室長)
熊倉純子(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科長)
■司会
森隆一郎(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科 特任助教)
(左から)吉本光宏氏、小林真理氏(オンライン参加)、熊倉純子、森隆一郎
次につなげたい若いアイデアと想像力
ーーー最終年度のグループワークで学生たちのアーツカウンシル構想に共通していたのは「自ら出かけて支援したい、つなげたい」という機動力です。こうした実験的なアイデアを発展させていくためにはどうすればいいでしょうか?
小林:どのグループの案も藝大生ならではの「何かやりたい人たち」の視点があって、構想やアウトプットが面白いですね。ただの構想で終わるのではなく、実際に「やってみちゃえばいいじゃない!」と感じました。
熊倉:グループワークには藝大の学部生や大学院生のほかに、成蹊大学の学生もインターンとして参加していました。学生たちには吉本さんが昨年度のフィールドワークを総評いただいたときに言われたような、文化生態系を形づくるために重要な表現未満の場のことなどが、タームとして刺さっているのだと思います。
吉本:アーツカウンシルは75年前にイギリスで設立され、当時の考えがスタンダードとして今日まで続いています。ただ、学生たちの案はイギリスのアーツカウンシルの先を行っている気がします。
ーーー1946年にイギリスで設立されたアーツカウンシルについては、今年度の連続講座(Vol.8 日本におけるアーツカウンシルの現状)で同志社大学の太下義之氏に詳しく解説していただきました。
小林:学生のアイデアを聞いていて、無理に「アーツカウンシル」という言葉に結びつける必要があるのかどうか疑問に思いました。
吉本:アーツカウンシルと呼ぶべきかという小林先生の指摘は、アラスミの今後の展開を考えるうえでの問題提起になると思います。
注目すべき点として、どの案も「お金を配らない」という点が共通していましたね。
「相談」に重きを置くアクティブな伴走支援
ーーーご指摘の通り、学生にはそもそもお金がないことを前提としてアーツカウンシルの構想をしてもらいました。
吉本:そうだったのですね。アーツカウンシルとは一体何なのかを考えさせられました。
個人的な見解ですが、日本のアーツカウンシルは3回ボタンを掛け違っていると思っています。1回目は、国の文化審議会でアーツカウンシルの「審査・事後評価」の機能を強化するという方針がでたことです。アーツカウンシルとは、文化を推進するためにどういう意図で、どういうふうにお金を配ればいいのかというプログラムを考えることが最も重要なのですが、お金の配り方と成果だけに焦点があたってしまいました。
2回目は、ある地方公共団体で事業型のアーツカウンシルができたことです。リグラント(=政府から預かったお金を成長の見込める分野や活動に分配すること)ではなく、事業予算のボリュームが圧倒的に多い。
3回目は現在の地域版アーツカウンシルに共通する傾向です。芸術と他の分野をつなぐことに重きが置かれていて、芸術そのものにお金を分配しているところは少ないです。
つまり、日本のアーツカウンシルはイギリスのスタンダードと比較すると混乱を極めているのですが、混乱しているからこそグループワークのようなユニークな案が出てきたとも言えます。
熊倉:吉本さんの言う通り、アーツカウンシルの仕事として、政府から預かったお金を支援すべきところに分配するリグラントが第一です。しかしながら、日本が必要としているのは「相談機能」ではないかと思います。今回、私はそのように学生たちを指導したわけではありませんが、グループワークでは三者三様にその視点が入っていました。
学生たちの案はアーツカウンシルというより、アメリカの民間の助成財団の仕組みに近いものかもしれません。日本では申請書の提出を待って審査しているのに対して、アメリカではプログラム・オフィサーが当該エリアのアーティストや活動をアクティブに見つけ出し、助成先の決定権をもつ理事に対して専門的視点から働きかけます。残念ながら、そのような人材が日本には決定的に欠けているのが現状です。
吉本光宏氏
行政区分にこだわらず文化圏ベースで境界を越える
ーーーそもそもアラスミ・アーツカウンシルを考えるというテーマは、行政の広域連携をどう活用することができるかという問いから始まりました。実際に、文化圏を共有する地域が連携するためにはどういった方法が考えられるでしょうか?
吉本:広域連携についてですが、都道府県だけでなく基礎自治体レベルで連携することすらとても難しいんです。
ただ、アラスミが対象としている隅田川エリアは、江戸時代から続く文化圏を共有していると
いう意味で可能性を感じます。ここで言う「文化」とは、美術館やホールに行くという欧米型の文化ではなく、日本の手仕事のような生活に根差す文化のことです。行政の枠組みで考えるのではなく、民間ベースで各区にまたがる活動や仕組みをつくって、ゆくゆくはそこに区も関わってもらうような流れをつくった方が広域連携としてはやりやすいと思いますね。
小林:行政が行政の枠を超えて何かを立ち上げるには相当な労力がかかります。首長のイニシアティブで連携が偶然うまくいくこともありますが、継続性は担保できません。吉本さんがおっしゃるように、アラスミであれば文化圏が同じということでつながる要素はあると思いますし、行政の関わりにこだわらない組織や仕組みをつくってみるというのはありかもしれません。
ーーー 「行政区分」と「文化圏」は違うという点を考えたいですね。
熊倉:アラスミを始めたきっかけもそうでしたが、アーティストやボランティアの方々のなかには、3区にまたがって活動する人たちが結構いるんです。その人たちにとって隅田川一帯は電車で30分で行き来できる活動地域であって、行政区分のような目に見える境界はありませんから。
小林:広域連携を図って動き出していると感じるのは観光の分野です。観光はあるテーマに合わせて連動することが前提ですから、世界遺産でもひとつの自治体を超えたストーリーや文化を複数の自治体間で勉強し合いながら協力しています。観光を推進するために法人をつくることも効果があります。
ーーー DMO※ですね。墨田区は観光協会が区内を対象とした地域DMO申請をしていますが、広域エリアを対象とした地域DMOを立ち上げて観光を軸とした地域振興に取り組んでいるところは他にも出てきています。
熊倉:前年度に実施したフィールドワークの調査から、各区の小さな民間団体の動きが面白いこともわかっていますし、小林先生のアイデアは大変参考になります。観光分野と連動した発想や言語を交えていくことも考えなければならないと思います。
小林:観光分野は経済効果に結びつくと考えるので、自治体にとってのメリットが短期間に出そうだと思わせるところもありますね。
※DMO(Destination Management Organization)=観光資源に精通し、地域と協同で観光地域づくりを行う法人
小林真理氏
コレクティブ構想は大学がハブになる?
熊倉:アラスミの次のフェーズとしては民間主導の広域連携を検討しています。具体的にはアートNPOの「コレクティブ」を構想しているところです。コレクティブが各区をつなぐ活動の核となって、そこに行政や企業が関わってくれるようになればうれしいですが……。
ーーーNPO同士が連携していく「コレクティブ」という考え方から、次の構想を少しずつひも解くことができそうですね。また、行政との連携はハードルが高いとなると、大学はどうでしょうか?
吉本:大学はリソースを集める受け皿になり得ます。4年または大学院を含めると6年で新しい学生が入ってきますから、僕らでは思いつかないようなことを発想する人が常にいるということですよね。
各々のリソースを持ち寄り、共有して、お金じゃないものを分配する「コモンズ」として大学ができることがあるのではないかと漠然と感じています。ですから、アーツカウンシルではなく、アラスミ・アーツコモンズ、あるいはアーツ・コレクティブと言い換えることで、よりビジョンが明確になるような気がします。
ーーー「コモンズ」という、ナレッジを共有する場を大学が担えるかどうか。
実践するとなると、大学で教えている先生方はどう思われますか?
熊倉:NPOのコレクティブがそうですが、民間のアーツカウンシルのような組織を立ち上げ、そこに大学が関わっていくというのは考えられると思います。
小林:しかしそのプロジェクトを担う教員が辞めてしまったり、学生ありきの運営だと継続性や質の担保が難しくなります。
熊倉:教員は本職がありますし、学生も卒業してしまいますからね。
小林:コモンズやコレクティブという考え方は大賛成です。できれば大学内にセンターが置かれて、しっかり独立した組織として運営していくことが望ましいですし、藝大ならそれができると思います。
成果主義ではなくプロセスを評価していく
小林:リグラント以外の機能を持つアーツカウンシルという学生のアイデアから議論が始まりましたが、やはり公的助成をどう引き出すのかを手放してはいけないと思うのです。
ここで熊倉先生に聞きたいのは、自分たちが委託されて助成をする側なのか、助成金を獲得してやりたいことをやる側なのか、どちらを志向しているのでしょうか。
ーーーお金を分配する側なのか、使う側なのかということですね。
小林:助成事業の多くは成果主義なので、グループワークで提案されたような表現未満のものだと助成を評価・審査する側が責任を持てません。その結果、成果がわかるようなものにしか助成しなくなっています。社会包摂の分野でも結局、成果主義です。つまり、表現未満と成果主義の中間を評価するものが日本にはほとんどありません。それが文化芸術の発展そのものを阻害しているような気がしています。
熊倉:小林先生の問いについては、現時点ではリグラントも事業も両方やらなければいけないと思っています。
成果主義というと社会的インパクト評価が強く求められていて、評価に耐えうる助成事業ばかりになっていますよね。その結果「評価疲れ」が起こっている。そこで、評価をプロセスにしていくために、まずは人や相談窓口が最重要だと長年思ってきました。
吉本: 助成制度の課題は、その評価項目に沿った成果を出さなければならなくなっていることです。たとえば、経済波及効果などの経済的な効果まで示さなければならないとなると、本来の事業の目的を忘れて評価にすり寄ってしまうおそれがあります。
熊倉:行政にとってお金を分配するのに何をもって成果とするのかは、納税者などのステークホルダーと共有するためのもの。評価をプロセスにしていくためには、草の根で価値化したことをシェアしていかなければなりません。
小林:熊倉先生が指摘されたようにアートマネジャーやコーディネーターといった「人」が大事なのはわかります。福祉分野でのケアマネジャーもまさにそうです。ただ、人が大事というとどうしても技術や能力が属人的になってしまいます。人が持っている情報やノウハウや知恵が組織化されないと、全体的な底上げができないのではないかと心配です。
熊倉:ケアマネジャーの話が出ましたが、80歳を超えた私の母が包括ケアセンターの介護認定を受け、ケアマネジャーがついてくれることになりました。委託された社会福祉法人が相性の良いケアマネジャーさんを見つけてくださったのですが、その方は梅干しを漬けて配っていらっしゃるんです。いい国だなと思います。属人的なだけでなく、制度としてきちんと機能しているところに感銘を受けました。
小林:そういう枠組みをつくってほしいですね。
吉本:お金はもちろん必要なのだけど、先ほど話した「コモンズ」を今一度考えてみることが重要ですね。いわゆる資本主義ではないところでお金と人材以外の、山のようにあるリソースを持ち寄って分配する仕組みができればいいかなと思います。
小林:脱資本主義というと政治的な匂いが出てしまいますが、「コモンズ」にはすでに資本主義を否定する内容が含まれていて、経済的な利益を生もうとする人が入ってしまうと「コモンズ」の役割を果たしているとは言えないように思います。その先を考える今日のような話は大切で、そこに「成果主義」ではなく「プロセス重視」という私たちが付け加える視点があれば良い感じになると思います。
吉本: プロセスを見て資金を分配するということを、新しく作る組織でやってみればいいと思います。例えば思い付きですが、藝大と東大が手を組んで、「私たちが責任を持つので任せてください」と国からお金をもらって実験的なプログラムを提案するのはいかがですか。
熊倉:考えてみたいですね。単年度予算の壁があるのでロングビジョンを描くことはなかなか難しいですが、事業をしながら考えるプロセス重視の仕組みをいつか実現できればと思います。
熊倉純子
30年後の連携を見据えた仕組みづくり
熊倉:アラスミは今年度で終了しますが、次のビジョンへ一歩前進するきっかけをいただいた気がしました。「アーツカウンシル」に縛られない「コモンズ」という考え方。たくさん模索した先に、新しいかたちが見えてくるんだろうなと思います。
ーーー「失敗してもいいからやってみよう」それが土壌になって次の種ができると。
熊倉:梅干しを漬けてくれるようなアートマネジャーやコーディネーターが地域にいて、それを国が後方支援するような連携ができればいいなと思います。30年後か40年後かわかりませんが。
ーーー 先は長いですね。
熊倉:1990年に助成金を分配する仕組みがスタートして約30年が経ちました。残念ながら文化芸術を取り巻く環境は依然として厳しいです。ただ次の30年は、若い人たちのアイデアや想像力があれば違う方向に向かっていけると思います。
小林:まずはアラスミの次の構想です。民間ベースの構想になりそうとのことで、私もぜひとも関わっていきたいです。
吉本:3人でこういった話合いができる機会は少なく貴重でした。次の構想に向けてまた話を進めていきましょう。